残り時間を思う

今更《なにものか》になろうという意思はない。

以前は情熱もあったが、どうやら枯れ果てたようだ。

意地さえない。

そもそも生業とするほど何かを産み続けるものが私の中には無かった。

育てる努力もしてこなかった。

今更になって分かるが、それでも多少の可能性があったものさえ手離してしまっていた。

無知であった。

ゆえに迷って道を誤った。

この人生から退場する準備を始める時期に、

明らかになって見えてきた数々の愚かな選択の過ち。

それでも後悔に浸るほどにも自分の人生を愛せていない今。

後悔というのは選ばなかった方の人生が良いものであったと思えるから出来るものだ。

私は、今以外の人生も大して違わないと思っている。

いまとなっては、そう思う。

いまだから、そう思う。

私が、いま、ここ、で願うことは、

後いつまでか分からない人生の終わりまでに、

ひとつでも多くの「いい気分」を味わうことだ。

嫌な気分よりもひとつでも多くの「いい気分」のために、

それを「あて」にして「いきるきぼう」と呼んでみてもいい。

恋の憧れを語る理由

中年になって、身も心もどっしりと落ち着いて、

生活にもやっと余裕が出てきた証のように、

贅沢な望みが湧いてきました。

刹那的な胸焦がす恋への憧れなど、

魂のタイムスリップのようなものです。

やり残してきたことは少なくはないですが、

人生への不満は多くありません。

違う人生を望んだところで仕方がないのですから、

そんなものは望みません。

ただ最後の華やかな彩りをほんの少し、

夢見ることで残りの人生をワクワクと過ごすことができるのです。






まだ恋する相手にも出会っていないのに(笑)

出逢うかもしれないと思うだけで胸が甘く疼きます。

どうやってその人の心を捉えようかと

考えれば自ずと暮らし方が変わるのです(笑)







恐るべし妄想力……

服を着た時に一番美しく見えればいい

少し前に「セカンド*バージン」というドラマがありました。

鈴木京香長谷川博己と恋愛するお話です。

18だか17だか年下の男性と愛し合う物語。

その中で鈴木京香の「あなたの前で服を脱ぐ気は無いの」台詞があります。

結局脱いでましたが……

気持ちがわかります、すごく。

ドラマを見ていて実際心が萌えたのは、惹かれ合う二人のもどかしい距離感でした。

エロティックなキス、眼差し。

一線を越えるまでの行きつ戻りつする心の葛藤。





私が欲しいのはsexではありません。

恋した人の心に美しい姿で残ること。

彼の人生にロマンとして記されること。





そういう物語を私の人生に加えたい。

夢です。

「最後の恋のはじめ方」

思いっきり映画のタイトルを
パクっています。

いま私は人生の後半にいます。

あと一度だけ、恋がしたい。

恋をして、相手の心を切望したい。

相手の唇に触れたいと狂おしく想いたい。

恋しい人とひとときでもいい想い合いたい。

想い合う人と初めて唇を合わせる、その短い距離の長いときめきをもう一度感じたい。

そして、その恋は口づけだけで終わる……そういう恋がしたい。